るのーぶろぐ

忘れられた頃に更新される雑文

提督が鎮守府に着任しました

KADOKAWAプロデュース、DMMプラットホームな『艦隊これくしょん』というゲームを何年もやってます。サービス開始からすぐ登録したので横須賀鎮守府のLv.120提督なのですが、イベントだけ参加して、普段は演習とデイリー任務の一部だけやる、そんな平和でぬるま湯な鎮守府

 

けっこう前からみんな何だかFGOとかいうのやってて、今から艦これ始めようって人はあまりいないのかもですけど、同人誌の割合もけっこう高いまま推移してるようなので、安定ジャンルとして今から始めようという人も居るかも。鎮守府へようこそ。鬼のように種類の多い艦娘たちが待っています。その艦艇を編成して武装を装備し、出撃したり演習したり、開発や建造などサブ的なことも行ったりして暇をつぶすゲーム、それが『艦隊これくしょん』「艦これ」。

高解像度&HTML5

長い間ブラウザ上のFlashPlayerで動作していた艦これですが、去年「第2期」と称して高解像度化とHTML5ブラウザ上での動作へ移行という大きな改修がありました。これによってPC以外の携帯端末でもHTML5対応のブラウザがあればプレイ出来るようになりました。高解像度とともに動作も滑らかになり、今後のFlashPlayerの終焉とHTML5の定着を考えると、運営の判断は適切だったと思います。切替えのメンテ後に大きな混乱が無かったのも見事でした。

やはり艦娘が魅力

上記画像は直近冬イベントの最終MAP(E3)、最終ボスからランダムにドロップした、駆逐艦ジョンストンを秘書艦(第1艦隊旗艦)に設定した時のホーム画面。最終ボスを攻略して報酬として受け取れる別の「日進」という艦があるのですが、そちらはクリアすれば必ず貰える一方、今回のイベント限定だけどランダムにドロップする為に実質的な最終目的となったのがジョンストンでした。

艦これサービス開始当初はおそらく旧日本海軍の艦艇をモデルに擬人化された艦娘だけだったような気もするんですが……、気がついたら独伊米英仏ソ瑞の海外艦も居て、地球連邦軍ばりに充実した海軍が敵の深海棲艦勢力と戦っています。

イベント攻略が美味しい

イベントで入手可能のレア艦は毎回異なり、新しい艦がその度に登場してきます。イベントは通常海域と編成も攻略方法も違うMAPで行われ、報酬艦とレアドロップ艦はその時点では該当イベント内でしか入手できないので、報酬装備など貴重アイテム以上にイベント参加モチベーションの主となっているようです。(イベントで入手出来なかった艦も、後々のイベントでまたドロップの機会があったり、通常海域や建造に実装されたりする可能性もあるので、運を逃した場合は、後々のやはり運頼みに)

イベントを攻略し終える為には↑このようないかにも強力なボスを倒さなければならず、歴代のボスの中にはその後も登場し続け、もはや敵勢力の代名詞となっているものもあり、味方の攻撃をことごとく微ダメージで吸収してなかなか随伴艦を倒させてくれない「ダイソン」(通称)などその最たるものであります。今回の冬イベントのボス、何だか『結城友奈は勇者である』に出てきそうなビジュアルでしたね。

『艦これ』を始めたきっかけ

5年以上前に開始されたサービス『艦これ』、その当時、私は暇で暇で仕方がなかったのです。ちょうど、都会での仕事に見切りをつけて地方に帰るために、二ヶ月くらいフラフラしてたんですね。そんなやる気の無い時期にクリックひとつで課金すらせず暇潰し出来る『艦これ』が始まり、駄目人間が昼間からビール飲みつつPCブラウザゲームをクリックだけで一日過ごすという典型的駄目パターンがここに確立されてしまったのです。

左クリックだけで済む

このゲームの良いところは、編成や装備といった戦術面での考察、長期的に上級武装を入手する為の戦略、イベント攻略時のタイムリミットとレア艦掘り(ドロップ)、それらを熟考する必要がありながら、基本的にはマウスを左クリックすることしか必要ない、そんな不精者向きなところにあります。

他に使っているボタンといえば、Firefoxでスクショ撮る時に右クリックを使うくらい。私のように徹底的に面倒くさいかどうかを基準にして生きながらえているような駄目人間には最適のマウスクリックゲーム。

クリックするだけで初期艦の嫁艦「ゴトランド」をドロップ出来るなんて素敵じゃないですか。初期艦ですよね?ゴトランド初期艦ですよね?

倦怠期を回避する

飽きます。毎日同じ事やって、毎月同じ海域5番目MAPを攻略し、ルーチン度が高いゲームです。だって暇潰しだもの。始めてから2-4クリアするまではたぶん燃えると思うんですけど、それを超えて難易度高いMAPに入手不可能な先行の艦艇や装備が必要だとなったり、イベントも甲(最難関)クリアが無理とわかったり、モチベーション低下要素はごまんとあります。

そしたら、毎日演習と幾つかの任務だけやるとか、イベントは難易度落としていいとか、自分で線引きすると、義務感から開放されて、中毒性からも抜けて、自由に出来るようになる、それがこのゲームの救われる良いところです。年末年始が忙しく人、盆には家族で田舎に帰らにゃならない、なのにイベントとか無理でしょ。そしたらやらなきゃ良い。ただそれだけ。

2-5や3-5という各海域のエクストラMAP(X-5)をやるもやらないも自由。毎月リセットされ、その度に攻略して報酬の勲章を入手出来ます。勲章は4つ集めると改装設計図と交換できたり、色々な用途があります。高レベル艦を改二等if改装させる場合に改装設計図等が必要な場合があり、毎月全部とは言いませんがある程度は勲章をためるといいかも。私はエクストラMAPは全然やらないで2-2潜水艦しか出撃してない月とかけっこうありますが。

課金要素が低い

課金要素も低いので(スマホのガチャゲームに比べると)、身の丈にあったプレイが出来る。私は課金はケッコンカッコカリ(Lv.100開放)、母港拡張(保有艦数と装備数を増やす)、補強増設(艦艇に追加の補助装備枠を作る)に絞って、給料艦(艦隊のコンディションを上げる)やネジ(武装強化)は買わない線引きをしています。

正直、際限のない課金はモチベーションをどこかで切れさせると思うんですよね。

今日の艦これ

というわけで、今『艦これ』はイベント攻略期間ではないのですが、節分の豆を集めさせられるというミニイベントが間断なくぶっこまれて参りまして、任務や出撃で豆を集めて多分何かを達成すると何か武装を貰えるとかそういう種類のやつだと思うんですけど、私は無視して通常出撃してます。攻略イベントやってない時も、何かしらミニイベントの特殊任務があるような気がするんですよ、このゲーム。

私は今日は2-5と1-5がアツいです。2-5、今までずっと重巡と航巡だけの編成で上ルートやってたんですけど、どうせ燃費悪い上ルートやるんだったら伊勢改二でも入れて少しでも経験値積ませようかな、というところです。何せ高レベル伊勢改が2隻いたんですが、サブ艦の方を間違って改二にしてしまったので。貴重な資材を使ってする改二改装なので、致命的な事態にならずに助かりました。はい。

以上、『艦隊これくしょん』略して「艦これ」紹介と思わせておいて、入手艦娘自慢のコーナーでした。

一方的に眼鏡の話をする

 

皆さんは眼鏡、どのくらいの数を持ってるでしょう。私は落着きがなくてよく壊すので常時5本くらい無いとすぐに減っていき、気がついたらスペアが無いよ的なおっちょこちょい奴なので、多めに準備して5〜8本あたりをうろうろします。そして、圧倒的にアンダーリムが好きです。大事な事なので二度言います。アンダーリムが好き。要は壊さなければ良いのですが、落ち着きの無い私には無理。眼鏡は消耗品なんです。
 
現在、次のようなバリエーションで使い分けているようで仕事と私用の使い分けしかしてませんが何故か数だけは無駄にあります。
・地味フレーム眼鏡@2 仕事用 寝ながら読書用
・細フレームのアンダーリム@1 起きながら読書用
・中太フレームのアンダーリム@1
・スポーツタイプの頑丈なハーフリム@1 寝ながら読書用
・スポーツタイプの細ハーフリム@1
JINSムーミンコラボ@1 遊び

大きく2種類に分ける

仕事用とそれ以外です。嘘です。仕事用の眼鏡は別にクリエイティブな職でもなし、デザインもどうでもよろしい。2つくらい何でも良いから地味めなのがあればいい。普段使う眼鏡が、主に起きながら読書する用と、寝ながら読書する用の2種類に分けられています。これは起きながら読書の時はなるべくフレームが細くて視界を邪魔しないように、寝ながら読書用はうっかり寝ても壊さないように頑丈なものを用意しています。どれだけだらしないんだ。もちろん読書用の眼鏡はPCモニタやゲーム画面を見る時にも使うので、読書用というよりは私生活で常用しているということになります。
また、読書用なのであまり目を疲れさせないために、左右あまり差がないように敢えて甘い度数にしています。私は特に右目の近視が酷いので、そこを敢えてがっちり度数作っちゃうと、左右のバランスが違いすぎて目が疲れやすくなるので、そこそこにしてます。別に読書じゃなくても、これ以上度を強くすると却って頭が痛くなる、それくらい右目がよろしくない。

欲しいけど持てない眼鏡

いわゆるリムレス、フレームがない「縁無し眼鏡」です。これは視界をフレームが邪魔しないので圧倒的に着心地が良いのですが、雑過ぎる私はあっという間に壊してしまうので、常に1つくらい欲しいなと思いつつも諦めています。寝て起きると壊れてる。今まで幾つ買ってその全てを粉砕してきたことか。私は眼鏡界の新左翼活動家なのか。こんな私が縁無し眼鏡を掛けられるように落ち着くには、あとどれくらいの年月の人間的熟成が必要なのでしょうか。神谷浩史さんと同い年の私、圧倒的なプロフェッショナル魂の塊である人気声優さんと違って、そろそろ人間的な成長も終わっているな私という自覚もあり、もう無理なんじゃないかという気もします。あ、特に眼鏡と神谷浩史さんとの関係は今回ございません。先程NHKのプロフェッショナルを特集した番組で神谷浩史さんに密着してたのですが、彼の声のキャラには眼鏡が似合うなー、とずっと思っていただけです。良いですよね、神谷浩史さん。

眼鏡以外の選択肢は無いのか

私には無いです。
レーシックとか論外。コンタクトも角膜がすり減りそうで怖いからヤです。これだけだらしない私がコンタクトにしてそのまま寝ちゃったらどうなるか、火を見るよりも明らかではありませんか。

眼鏡はどこへ行くのか

車のフロントガラスにメーター類や交通情報が表示されるスマートフロントガラスは、法律的な制約があって、技術的には可能でも、実装はまだまだ先のようです。
同じように、眼鏡以外の選択肢って、スマートグラスしか思いつかないんですよね。スマートウォッチでやっていることは、スマートグラスでも代替可能な気がするので、あとはスマートウォッチ的なものはスマートフォンがあるのに本当に必要なのか、という根本の大問題さえなければ、スマートウォッチがスマートグラスに代替される日も来ようかというものです。
ただ、MOVERIOなど、スマートフォンのスクリーン的な拡張デバイスに終始している限り……来ないな、スマートグラスの時代は。と思いますが。
PSVRのゴーグルが小さくなる、くらいの変化がせいぜいのところで終わるのかもしれません。
電脳コイル』の頃はこれは来るぞ来るぞと思ったんですが、未だにスマートグラスが「来てない」事を考えると、もう来ないかも。
やはり、眼鏡はアナログな現実の光の反射をはっきり網膜で見るための単機能デバイスだからこそ生き永らえているのでしょう。

積読の話

私にとって積読とは何か。読書にせよ積読にせよ、読書家各人に一家言あろうかという積読。それぞれ好きなようにすれば良いというスタンスは保ちつつ、自分の場合どうかなあ、という話。

もう何万何十万の人が一度は語った有り触れテーマです。しかし、私は生活や精神に余裕がないと積読すらできなくなるので、バロメータとして積読しようという側面があります。

ジャンルによる

小難しそうな本を買っては読まずに積んでおく。積読。ずっと「積読」だけ観てるとだんだん「槍槓」に見えてきます。見えない。
私も100冊のノンフィクションの文庫を買ったら50冊から70冊は積んで死蔵しますし、ハードカバーのフィクションだと半々くらい、文庫のフィクションだと4割位、ハードカバーのノンフィクションだと資料としてほぼ積みます。ジャンルによって実際に読む割合は当然変わりますね。

分野とレーベル

歴史と哲学の文庫、講談社学術文庫ちくま学芸文庫あたりが圧倒的に多いのですが、そこはやはりテーマや著者で選びます。なぜならこのあたりのレーベルに入っているタイトルは名著として10年やそれ以降のオーダーで生き残ってきた名著であるか、または歴史に名を刻むような「現代的古典」である割合がとても高いから。この傾向の書籍、よく「基本書」などという言い方で表現されます。私にとってどのあたりが基本書なのかというと、まず歴史。歴史の基本シリーズだと講談社の「日本の歴史」「興亡の世界史」「天皇の歴史」あたりが浮かびます。今でも毎月リリースされてますね。ちょっと前に「天皇の歴史」が全部で終わったあたりで、「興亡の世界史」はまだちょっと残っています。
それに付随して歴史関係のタイトルが毎月出ており、私は洋の東西を問わず歴史が好きなので、これらのシリーズが出ればマイナな地域のものでもとりあえず買っておきます。あと、哲学思想古典文学。現代思想だけではなく、中国古典(歴史資料も含む」の史書漢籍漢詩あたりも大好きで、池田知久訳『荘子』、下定・松原編『杜甫全詩訳注』あたりも。
現代思想だともう完全にネームバリューで選びます。ハンナ・アーレント、ちょっと読んでたらかっこいいと勘違いしてた左翼学生みたいじゃないですか、そういう青臭いの好きなので、右向きな割にはこちらの方面もちゃんと積みます。

かっこつけて自己満足する

実存主義哲学以降ポストモダンまではウィトゲンシュタインとかもう完璧に著者の名前がかっこいいかどうかで選んでますね。中身とかどうでもいい。マルグリット・ユルスナールとか。このジャンルは他の人が抑えてくれるでしょうから、私はヘーゲルとかもっと19世紀の古典みたいな基本中の基本が多いです。
一方で、中村元中沢新一、あと最近は古武術に行っちゃった街場の先生のレヴィナスやってたころの主著、そのあたりを入り口にしたので、今でも毎月のように中村元の仏教仏典の入門書、基本書、専門書問わず、目が行きます。中沢新一はオウムで叩かれてた頃は知らなかったんですが、そもそも本を主体的に読むようになったのが社会人になったここ20年近辺のことで、それまでは日本の古典や近現代小説、いわゆる昔ながらの岩波文庫の赤、新潮文庫の100冊(それも最近のように流行ものを集めたのではなく、教科書の文学史まんまのようなラインナップだった)を素直に読んでいましたから。

図書館を作る

ちょっと背伸びした本を買って積読本を増やしておく。ストレス等によって精神状態が悪化すると、活字を読めなくなる場合もありますし、私もそういう経験はしました。だから「読むのに無理してるなー」と感じたら、読むのをやめて積んでしまって良い。そもそも本って読み始めたら最後まで読まなきゃいけないものではないですから。自分には合わないなー、難しくて今の知識では読みこなせないなー、と思ったら1ページでも読むのをやめて積んでしまって良いんですから。読める時や必要な時が来たら、必要なところだけ読めばいいものですから。これって、図書館にある本を自由に読んだり、資料として使う時の使い方ではないでしょうか。積読とは、自分の本棚を図書館として充実させていく作業だったのです。私設図書館。なんて甘美な響き。読子ビルみたいだ。そんなわけで、私の買った講談社学術文庫は3割くらい、ちくま学芸文庫は7割くらいが、これからも図書館の本になり続けるのです。